「 女性やカップルでも楽しめるゲームを作れないか?」名作ゲーム『パックマン』の誕生の背景には、当時のゲームセンターへの危機感がありました 。
80年代のゲームセンターで世界的なブームを巻き起こしたTVゲーム『パックマン』。1980年5月22日に東京・渋谷でテスト機がデビューしてから45周年を迎えました。ファミコンなど数多くの家庭用ゲーム機に移植されたほか、2015年のハリウッド映画『ピクセル』にも登場するなど根強い人気があります。ゲーム界の金字塔の知られざるトリビアをご紹介します 。
\ 🎉 HAPPY forty-fifth BIRTHDAY , PAC - MAN 🥠 🍰 //今日は#パックマンの45回目のお誕生日 🎂 そんなパックマンに「おめでとう ✨ 」と言っていただけると嬉しいです 😌 それでいきますよ … せーの!!パックマンお誕生日おめでとう 🎂 🍪 🧁 💫 #PACMAN45TH#pacmanpic.twitter.com / uYo5ScDOhE
「女性やカップルでも楽しめるゲームを作れないか?」名作ゲーム『パックマン』の誕生の背景には、当時のゲームセンターへの危機感がありました。
「女性やカップルでも楽しめるゲームを作れないか?」パックマンの誕生の背景には、当時のゲームセンターへの危機感があった
このゲームでは、パクパクとドット状のエサを食べる主人公「パックマン」が作品のシンボルとなっています。黄色い円が口を開けただけのシンプルな造形ですが、どうやって生まれたのでしょうか。当時、ナムコ(現在のバンダイナムコエンターテインメント)で『パックマン』の開発を指揮したのは、岩谷徹さんです。2005年に発売された著書『パックマンのゲーム学入門』(エンターブレイン)の中でその経緯を明かしていました 。
岩谷さんによると、開発当時の日本のゲームセンターはタイトーの『スペースインベーダー』(1978年)の驚異的な大ヒットを受けて、他社がエイリアンを撃ち殺す殺伐としたゲームを大量にリリースにしていました。この結果、ゲームセンターが「女性が足を踏み入れてはいけない場所」「男の遊び場」になっていたそうです。こうした状況に危機感を覚えた岩谷さん。「女性やカップルでも楽しめるゲームを作れないか?」「次は女性をターゲットにしたゲームを作ろう」と企画したのが『パックマン』だったそうです。岩谷さんは、ゲーム作りで「人の行為」をキーワードにしてアイデアを連想することが多くあったそうです。『パックマン』の場合は「食べる」から連想したゲームデザイン。「女性ならば誰しもが、食べることには興味があるはずだ」と思ったからでした。「食べる」をキーワードにアイデアを探す中で、岩谷さんはある日「ハッ」とする瞬間がありました。 🗣 ️「それは、昼食でなんの気なしに注文したピザを食べているときでした。一切れだけ食べた残りのピザの形が、口を開けているキャラクターに見えたのです 」
こうして、45年も根強い人気を持つキャラクター「パックマン」が誕生したのでした。確かにピザを切り分けていると「パックマンみたいな形になるな」と思うこともありましたが、似ていて当然だったのですね。岩谷さんはこのときの経験から「机で考え込むような内容は面白いものはできない」と思っているそうです 。
『パックマン』とは?
バンダイナムコエンターテインメントのプレスリリースによると、『パックマン』は「最も成功した業務用ゲーム機」としてギネス記録にも認定。日本はもちろんのこと、80年代にアメリカで「パックマン フィーバー」といわれた空前のブームを巻き起こしました。現在でも同国での認知度は98%、また米国以外でも多くの国・地域で90%以上の認知度を誇るそうです 。